本物の熱情が棲む場所 (舞台『アナザー・カントリー』)

突然ですが、先日自担のいない舞台を見るために福岡まで行ってきました。

こんなことそうそうないと思いますし、特に大千穐楽で見たものを忘れたくなくて、何に魅せられてここまできてしまったのか記録しておこうと思い、書き始めました。

(私の本業はTravis Japanの松倉担なのですが、ちょうどアナカン大千穐楽の日がAGTの放送日だったので、「着陸即AGT見た」と福岡空港で呟いたところフォロワーに現地(LA)行ってると思われてたの第2四半期で1番面白かったです。)

 

 

そもそもなぜ松倉担の私がアナカンのチケットを取ったのか

福岡までアナカン大千穐楽を見届けに行くに至ったきっかけのさらにそのきっかけは、グローブ座Jr.SP公演でした。

和田くんのことは前から知っていましたし、なんならしめパラとかバックついてくれていました。

顔が綺麗で歌も上手で、MCで自己紹介するとき緊張して何言ってるかわからない、けどまぁ総じてなんとなく、踊りも含めてクールな子だと思っていました(褒めてます)

そんな中、私のJr.担の教祖()に誘われ、ジャニエクにお邪魔することに。

初日だったので前情報なしの夢ハリに大泣きし、そして、ずっとクールな人だと思っていた和田優希が一人で仮面舞踏会を踊ったり(!)、ジャニーさんへの想いを口にしながら言葉に詰まってしまう程熱くなる姿を目撃してしまい、「知らなかった、、、いや〜、、よかった、、、」と終演後教祖とカンジャンケジャンつまみながら100周くらい話しました。(※和田くんだけでなくJr.SPのジャニエク自体が超超超良かった、円盤まだ?)

帰宅してからというもの、今見ることができるIsLAND TVを中心に徹底履修し、あまりの良さに倒れる日々で(特に電話シリーズカラフルがダメだった)、舞台……見に行かなあかんなこれは……と、FC先行は終わっていたものの奇跡的にまだあった一般ルートからチケットを手配したのでした。

すべてのタイミングに、感謝します。

 

 

アナザー・カントリーで描かれた"本物"の友情

さて、前置きが長くなってしまいましたが、こんなに特別な作品になってしまったアナカンの、何が良いと思ったのか。

カンパニーの「ちょうどよさ」については初見の感想で書きまして、さらに共演者の皆さんのブログや、福岡大千穐楽のカテコで改めて良いカンパニーだったんだなと噛みしめることになったのですが、そもそも題材と芝居が好きだった話をします。

 

【この後話す登場人物に関するネタバレ込みの雑解説】

  • ベネット(和田優希)・・・同性愛者で寮の規則を守らずおちゃらけている。隣の寮のハーコート(※劇中登場しない)に恋をするも、彼に手紙を渡そうとしたことをきっかけに鞭打ちにされる。
  • ジャッド(鈴木大河)・・・共産主義者でベネットの親友、勉強熱心で理屈っぽい、でも筋の通った男。
  • メンジース(多和田任益)・・・序盤凄くいいやつの振りをして、次期寮長になるために登場人物の中で最大の裏切りを働く策略家。
  • ファウラー(中山咲月)・・・軍国主義者で規則を守らないやつが大嫌い。でも頼られると「わかった、やってみる」と応えてしまうかわいいやつ。
  • ウォートン(山時聡真)・・・ジャッドに懐いている下級生で、上級生を恐れ「ハイ!」と日中犬のように働くが、寝言では犬に指示を出すなど潜在意識が垣間見える。
  • デヴェニッシュ(近藤廉)・・・日和見主義でメンジースの犬。(※私はメンジースより許してない)(私情やめて)
  • カニンガム(おかやまはじめ)・・・寮生(デヴェニッシュ)の叔父で、良心的兵役拒否者の作家。ベネットはカニンガムの説く理想主義的功利主義に魅了される。
  • マーティノ(劇中登場しない)・・・同性愛者。隣の寮のロビンズ(同じく登場しない、恐らく異性愛者)と性行為に及んでいるところを寮監に見つかったこと、更にロビンズに愛してると告げたところ気持ち悪いと拒否されたことをきっかけに首を吊って死んでいるところが見つかる。

 

アナカンの1番のテーマは「権力にも欲望にも、何にも傷つけられることがなかったベネットとジャッドの友情」だと個人的に思っています。

そんな二人の友情を考えるときに、劇中で度々語られる「孤独」と「偽善」について考えないといけないなと。

ベネットもジャッドも、それぞれに孤独を感じているようなことを吐露したり、メンジースに諭されたりします。

 

ベネットの孤独と自分を守るための挙動

ベネットは、「マスターベーションは飽きるし寂しい、皆誰かと一緒に居たいと思うんだ、俺の母親みたいにね」「俺だって誰からも好かれたい」と言い、ハーコート以外の誰に対しても恋愛感情を抱いていないにも関わらず、ジャッド(とスパンギン)以外の生徒たちとは体の関係に堕ちていて、少しミーハーな気配さえ感じるパリの英国大使になりたいと。

規則に抗い、おちゃらけて見せている一方で、自分のセクシャリティに対する周囲の目について終盤捲し立てるシーンを見て、おちゃらけもミーハーも、全て孤独な自分を守るために繕ってきたんだろうか、と想像して凄く苦しくなりました。

 

ジャッドの孤独と偽善への敵対心

ジャッドに対してメンジースは、「お前、孤独を感じているだろう」と、監督生になって権力を持てば、お前もこちら側の仲間だとでも言わんばかりに誘い、しかしメンジースが腹の底で考えている野望を感じ取っているジャッドは、メンジースが「友達」という言葉でカモフラージュしようとしたまさにその「偽善」に対して「こんな関係、果たして、友情と言えるのかな?」と言ってのける。(ほーんと、痺れる!!!)

ジャッドの台詞の中で偽善について触れているのは、

  • 「マーティノは偽善者じゃなかった」
  • 「偽善だ、偽善じゃない、嘘じゃない。そうやって考えている時点で半分そうなんだ」(うろ覚え)
  • 「偽善者!」

があったと思うのですが(抜け漏れありそう)、いかに権力者に好かれようとしたり、よく見せようとしたりする姿を嫌っていたかが伺え、それから、偽善と近からず遠からずだと思うのですが、ウォートンを諭すシーンの中でも、本来の自分と裏腹に権力に同調することを憐れむような姿が印象的でした。

そんなジャッドが信じられないことに監督生を引き受けようと思う、と言う場面、ここでも「お前が友情を利用しようとしているなら、俺はお前を許さない」と言っているように、彼の中では、権力に従って信念を曲げたというより、一人の親友の役に立つことをする、という信念を曲げなかったことになるのかなと都合のいい解釈をしています。

 

ベネットとジャッドがなぜよき友だったのか

ベネットとジャッドは、主義主張も目指す先も異なるのに、どうしてよき友だったのだろうと映画版を見ても舞台はじまった頃もあまり腑に落ちていなかったのですが、上記のように考えてみると、ベネットは決して権力者に従っているように見せかけることさえしてこなかったからなんだろうなと思いました。

だからこそ、メンジースたちからあのような仕打ちを受け、権力者たちがどれだけ狡く、賢く、弱きものを踏みつけながら登っていくのかを思い知ったベネットが、やけくそになって権力者たちに従っているように見せかけ、腹の底では自身の考えを持って騙くらかせば良いと、信念を曲げるようなことを言い始めたので、大きな声で「馬鹿なことを言うな!」と一蹴したのでしょうか。

(その意味で、正直ジャッドはファウラーのことはそんなに嫌いじゃなかったんじゃないかなと思っています。ルール16-Bであんなに詰めなくてもよかったのに……)

あれだけ繕っておちゃらけてきたベネット、最後のシーンはボロボロになって、しょんぼりしながら悩みを打ち明け、物凄い剣幕で怒ったり、前半は全く見せてこなかった表情を見せてくるので、初見はもちろん、その先もどんどん表現が進化するのでびっくりしていたのですが、ベネットもベネットでジャッドのことをすごく信頼していたからこそああいう表情を見せられたのでしょうね。

ベネットからセクシャリティに関して数々の突き刺さる重たい言葉を吐露されたジャッドは、明らかに親友の暗い悩みに寄り添って"共感"し、顔を歪め、暫くして立ち上がり、「闘え!誰かがそんな名前でお前を呼んだら、そいつを殴れ!」とメッセージを送る。共産主義は個人の感情に左右されないと言っていたのに………

そして、身体の関係にこそならなかった二人ですが、ジャッドはぴとっと、ベネットの隣に座って、まるでここにいるから安心しろとでも言うようで、一方のベネットもゆっくりと顔を上げて少し持ち直す。(まぁ、その後メンジースとデヴェニッシュがヅカヅカ入ってくるわけですが……)

ベネットは、カニンガムさんとまた会うときは特別な友人を連れていきたいと、暗に「特別な友人=愛している人」とハーコートを指して言っていましたが、きっとジャッドにとって、特別な友人(文字通りの意味)とはベネットだったのだろうと、あの最後の一連のシーンは本当に痛くて、綺麗で、大好きでした。

誰からも好かれたいと言ったベネットでしたが、こんな風に友情を言葉と態度で表現してくれる親友が一人いるならば。

ベネットとジャッドのその後は、映画版でわかってしまってはいるのですが、どうか運命が変わってほしいと願ってしまう程には二人の関係性が好き……というか、羨ましかったです。(これは完全にオタクの邪念ですが、和田くんと鈴木くんもきっと仲良しでいてほしい、この先も)

 

ところで、これを書きながらIMPACTorsのIsLAND TVがあがってしまったのですが、福岡大千穐楽の「地上の地上、本物の地上だ」の後の涙はジャッドとしての涙だったということで、灰になっています。

物語の冒頭、ジャッドはベネットに「お前はいつも統計学的で数学的、血が通ってない」と言われていたのに、そんなの嘘じゃん………(号泣)

(アナカンを通じて、鈴木くんのこともめちゃくちゃ好きになりました、虎者の頃の私に言ったらひっくり返ると思う、まじで)

結局、初日から適当なペースで大千穐楽まで見届けることになったのですが、ジャッドがあそこまで熱くなっていく様子を追いかけられて客としても良かったなと思いますし、ベネットの怒りの表現もどんどんリミッターが外れていって怖いほどでしたし、ほんと、こういう良い表現が生まれる刹那的瞬間を目撃するために私はエンタメオタクをやっているなと改めて思わされた舞台でした。

めちゃくちゃロスなので、座長殿が言っていたように、いつかきっと同じキャストの舞台が見られたらいいな。(クリケット企画でもオーケー)(クリケット企画ってなに?)

 

 

 

ここまで、アナザー・カントリーがいかに私の心を掴んで離さない舞台だったのかを述べてきたのですが、話は冒頭に戻って(笑)

グローブ座で和田くんは「二十歳になってしまった」としきりに言っていたけれど、演出家や共演者に聞きまくったり、日々最善を尽くして、そしてみんなにめちゃくちゃ愛されて、こんなに良い舞台の座長を勤め上げた二十歳ってそんなに多くないと思います。

私自身、和田くんの熱さをジャニエクで知ったおかげでアナザー・カントリーに出会うことができ、ベネットにもジャッドにも、色んな人と出会うことが出来て、凄く良い夏になりました。

 

二十歳の和田くんに出会えてよかった。

来週お誕生日を迎えるということで、ややフライング気味ですが、21歳の和田くんにも、きっとこんな熱くなれる瞬間が沢山訪れますように。アーメン。